私が、不自由なカメラ(=ライカ)を使う、ただ一つの理由。
瞳オートフォーカス、秒間20コマの高速連写、マクロ、望遠・・・etc.
表現の幅は広がりますが、便利なカメラを使ったら、
多分、カメラに飽きると思うんですよね。
自分のなかの情熱的な何かを、失うような予感がしています。
そして、それは確実に当たる。
あえて、縛りをかけて、不自由さを楽しむ。
制約条件の中で、試行錯誤する。
その感覚が楽しいと感じるし、
機械ではなく、人間が撮る写真であるし、ひいては自分らしい表現につながると、思っています。
だから、ライカを使う。
だから、フィルムを使う。
機械ではなく、自身が主体性をもって、作品を生み出すという。シャッターを押す瞬間に、自分自身の存在を確かめられるカメラ。それがライカなんじゃないかと。そう思います。

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